新たなる自由へ 3

ヨーロッパにも、新型コロナウイルス感染症は、輸入された。

ヨーロッパの国々は、戦争を重ね、分裂を繰り返し、戻れないバラバラの今の状態になる。世界中を植民地にした時代もあった。
ヨーロッパは、世界中に戦争を輸出したのだ。
そして、何を輸入しているのか。
アメリカをはじめ、植民地に生活に必要なすべてのものを生産させ、輸入した。日本と同じように輸入に頼らざる負えない、陸つなぎではあるが、ちいさな国々の集合体である。
世界の中心だった。
その世界の中心は、ヨーロッパから、アメリカへ、そして、アジア、アフリカへと移行し、昔のよきヨーロッパのイメージを保つしか、そこにしか存在理由がないようにも見える。

現在は、ヨーロッパは、そのイメージを必死に保ちつつ、演じつつ、人、人口を輸入している。
ビジネスマン、観光客、移民、、、。
そして、新型コロナウイルスも輸入することになった。
もちろん、中国とのビジネス、観光との密接な関係がそうさせた。
中国の混乱は、共産主義が機能しているから、秩序だって対処しているように見え、よりヨーロッパの混乱が、
パンデミックのはじまりといっても過言ではない。
グローバル化した国々に輸出入された。
その自由貿易主義の習慣、アルゴリズムがはっきりと姿を表した時でもあった。
ただ、コロナウイルスの根絶だけでは終わらない政治的な覇権という目的が、ヨーロッパ諸国の緊張感を逆なでしている状態が続くであろう。
このパンデミックにより、新型コロナウイルス感染症が国際社会の内的要因となった。ソーシャルディスタンス、外出禁止が叫ばれているにも、拘らず、オリンピックが開催され、どこまでが、政治の役割なのか、政治はオリンピックに関わる企業の道具なのか、政治にとってのナショナリズムとは、どこからどこまでなのか、と、疑問が続く。
このパンデミックで、この社会矛盾を良しとする政治の限界点がはっきりと拡大された。人類の欲望を人間が理解しなければ、このパンデミックを超えられないのではないかと、思う。